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●ABOUT2011年03月 アーカイブ

2011年03月06日

まる子と奉仕作業

昨日は、まる子が通う保育園の、恒例の奉仕作業の日で、
主に、いつも世話になっている教室や園庭の掃除をします。

実はこの3月いっぱいで、今通っている保育園から、
地元の幼稚園へ移ることになりました。
だから、今回は特に御礼奉公ですね・・・

土曜なので、基本的には子どもたちはお休みですが、
家庭の都合によっては掃除をしている間、子どもを預かってくれます。

ウチはお母さんがいるから、通常は子どもを連れて行きませんが、
今回は、行きたいと言うので、連れて行きました。
どうやら、他の子どもたちとも密談があったようで、
いつもは来ない子どもたちが集まっていて、みんなで遊んでいました。


そして今日は、地元地域のゴミ清掃作戦の日なので朝からゴミ拾い。
これまた一緒に行きたいと言うので、
一緒にゴミ拾いです。

こういうことも、子どものウチから身につかせた方がいいので・・・

投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月06日 10:43 |

2011年03月09日

ぬり絵、する?

私は、子どもの頃、絵を描くことが好きで、
ぬり絵も好きでした。

今は、大人用のぬり絵があって、かなりブームになっているらしいですね・・

この数十年、ぬり絵をしたことはありませんでしたが、
娘が出来て、買ってあげるんですが、
ぬり絵をあまりやらないんですよね、ウチのまる子は・・
もっぱら、切って貼っての創作に精を出します。


だから、娘に買ったぬり絵を自分がやってます。

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友だちにあげると言ってまる子が自分で書いたぬり絵・・・
それと、妻が「やれば!!」と買って来た大人のぬり絵。

投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月09日 12:00 |

2011年03月18日

自分には何ができるだろう?

東日本大地震発生から一週間が経ちます。
この間、余震も続きますし、
被害の対策も、まだまだ進んでいないこの状況で、
誰もが感じ考えていることだと思いますが、

「いったい自分には何ができるだろう?」

私も改めて考えました。

私自身、家屋に被害が出て、未だに断水状態ですし、
福島原発の近隣に生活していた友人たちとの連絡も取れず、
様々な不安になる情報が錯綜する中、
自分が思い悩んでいる場合ではないなという気持ちでいます。

募金という手段ももちろんありますが、
本来、人にメッセージを送る仕事をしているわたしですから、
やはり、何かを誰かにメッセージすることで、
誰かの役に立ちたいという思いです。

そこで私が決めたのは、このサイトから、

◎心に不安を持っている人の為の励みになるようなメッセージを送っていくこと、
◎今回の体験を、4歳になる娘に、日記として残してあげること、

ということです。
やっと、心と体が一体に戻った感じがします。

このブログでは、後者の体験記を、まる子宛で、少しずつ書き進めますので、
お付き合いください。


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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月18日 10:41 |

2011年03月23日

大きくなったまる子への手紙

今はまだ4歳半のまる子だけど、何歳になった時か、この日記を読んでくれたら、小さい頃、どんなことをして、どんなことがあったのか、少しは知ることが出来るでしょう。

それまで、お父さんは日記を書いて行きます。

もともとこのブログは仕事のこと以上に、まる子のことを書いて来たけど、今回、東北地方で大きな地震が発生して、大きな被害をもたらし、それをお父さんもまる子も体験しました。
きっとこれから、社会科、歴史の時間で勉強するかもしれないけど、その体験したことを詳しく残していおきたいと思います。

今日は地震が発生してから13日目です。
未だに私たちが住んでいるところは断水で、水が使えません。食べるものと電気は使えるけど、やっぱり水が無いと、生活は困ってしまいます。


さて、地震が起こったのは2011年3月11日、午後2時46分、東北地方太平洋沖でマグニチュード 9.0 を記録しました。それまでM7という地震でも大災害が起こって来ましたが、M9という信じられない規模の地震が起こったんです。

この地震で多くの地域で被害が起こり、さらには6メートルを越す大きな津波が起こり、多くの犠牲者が出ました。

その時、お父さんは自宅兼会社で仕事をしていました。
お母さんは、たまたま仕事を休んで出かけていました。
まる子、あなたは、保育園でみんなと遊んで、そろそろおやつの時間という頃でした。

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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月23日 13:38 |

2011年03月24日

地震が起こったその時、お父さんは・・

まる子へ・・

その時、お父さんはパソコンで仕事をしていました。

ゆっくり家が揺れ出し、徐々に強くなっていきました。
かなり長い揺れ・・

「いつもと違う!!」

そう思ってドアを明けて様子をうかがっていると、
益々激しく揺れて来ました。

さすがに家を飛び出し、庭に出てみると、
今までに経験したことが無い大きな揺れ。

やがて母屋の屋根瓦がバラバラと落ち出し、

「あぁ、家が壊れるな・・・」と思いながらも

なぜか冷静に様子を見ている自分がいました。

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「保育園のまる子はどうしているだろう?」

「保育園はけっこう古い建物だから、倒壊していないだろうか?」

やがて地震がおさまると、とにかく保育園へ向いました。

途中、道路からは水が溢れ出し、家々の瓦は崩れ落ち、
道路が割れて段差がうまれ、
倒れかかった電柱もありました。

鹿嶋臨海工業地帯からは大きな煙が上がっていて、
異様な雰囲気が辺り一面を覆っていました。

保育園に向かう車中で聴いたラジオからは、
震源が岩手・宮城の沖合だということと、
マグネチュード7を越えていること、
そして津波警報が出ていることがわかりました。


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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月24日 14:55 |

2011年03月25日

まる子を迎えに保育園へ

まる子へ・・

地震発生から15分後、保育園に着いてみると、
子どもたちと先生は園庭に待避してしゃがんでいました。
みんな無事で、大声で泣いている子は少なかったけど、
どちらかというと放心状態といった感じでした。

園庭は地割れが起きていたり、液状化現象で水たまりが出来ていたり、
未だ細かな余震も繰り返されていました。

私をみつけたあなたは、泣きながら歩み寄って来て私にしがみつきました。
恐怖で震えていました。

「大丈夫だよ!!」

お父さんにはそれしか言えませんでした。

まだ他の父兄は迎えに来ていないようでしたが、
園長先生や主任先生たちと、現状を確認しながら、
何か出来ることはないかと様子をうかがっていると、
また大きなゆれが・・

まる子を抱っこしていた私も、さすがに立っていられず、
しゃがみこんでしまいました。

保育園の地盤のせいか、最初の地震より揺れが大きく感じました。
グルグルと大地が渦巻いているように動き、
本当に地球が壊れるのではないかというほどでした。

平静を装ってはいるものの、大丈夫なのかどうかもわからない、
園児のみんなにも
「大丈夫だよ!!」
としか声がかけられませんでした。

このままで、家に帰り着くことが出来るのかという状況だったし、
携帯電話はまったく通じないから、
出かけているお母さんとも連絡が取れない。
お母さんは大丈夫なんだろうかということを考えながら、
まる子と二人で家路についたのでした・・

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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月25日 13:49 |

2011年03月27日

停電と断水と、そして余震

まる子へ・・

最初の地震発生から40分ほどたったころ、
お父さんとまる子は自宅に帰って来ました。

当然だけど、あの地震の影響で、停電に断水。
携帯電話も不通で、お母さんとも連絡が取れなかった・・

何度も来る余震を気にしながら二人でお母さんを待っていましたね。
2時間後の夕方5時過ぎになんとか戻って来たおかあさん。

しかし、震源近くの東北地方や福島原発が、あれほどヒドいことになっていようとは・・
その時はまったく予想もしていませんでした。
情報が無いというのは怖いものです。

ライフラインの寸断は、すぐには復旧しないだろうと思い、
とりあえず、夜に備えて水とロウソクと懐中電灯とラジオを、居間に集めました。
まだまだ寒い日が続いていたので、
使っていなかった灯油ストーブを出して来たり・・

まる子は保育園で習った通り、余震の度にテーブルの下へいち早く潜る。
でもホントの不安はその夜でした。

真っ暗な夜。

ロウソクの明かりとラジオのニュースの声、そして繰り返される余震。
台風の時とは違う、今までに無い緊張と不安。
この年齢で経験するとは思いませんでした。


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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月27日 16:41 |

2011年03月28日

大地震の日の夜

まる子へ・・


地震発生から5時間、夜になりました。

いつもと違うのは、蛍光灯の代わりにロウソクが灯っていることと、
いつでも外へ出られるように、雨戸シャッターを下ろさず、
ガラス戸も鍵をかけないでいることでした。

考えれば、1995年の阪神淡路大震災は明け方です。
暗くて何の余裕も無い時に起こった地震、
それを思うと、私たちはまだ良い方なのかも・・・

比べること自体おかしいことなのですが、そんなことも思いました。

さすがNHKラジオ放送、冷静に淡々と状況を知らせてくれます。
ただ、哀しいかなテレビで育った私には、目から入ってくる映像がないと
イマイチ状況が、ピンとこないのです。

そんなとき、お母さんが・・・

「車のテレビは映るんじゃない?」

そうか、その手があったか・・・
今は車にもモニターがあるから、ニュースが見られる良い時代です。

その画面から映し出されるのは
地震と津波で壊滅的被害を受けただろうと伝える安全帽をかぶったキャスターと
被災地の空撮映像でした。

「ここまでヒドいのか・・・」

それは大きな余震が続いていることでも実感出来ました。

「この先、どうなるのかな? 明日にはなんとかなるのかな?」

空虚感でいっぱいの頭に浮かんだのは、

「まる子のために、せめて家の中は、落ち着いて楽しく過ごそう」

そんなことでした。

その晩は、2階の寝室ではなく、1階の居間で布団を並べて、
すぐに庭へ出られるように窓の鍵を開けたまま寝たのでした・・

とはいってもね、休むヒマ無く余震が来るので、寝てはいられなかったけどね。
あなたは余震におびえながらも、いつもと違う夜が楽しそうでしたよ。

あたりは停電だから、星空がいつもより綺麗な気がする・・・

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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月28日 16:51 |

2011年03月29日

電気の大切さを考える

まる子へ・・・


震災の翌日まで、停電は続きました。
でも、その朝、電気が復旧したのには、有難かったですね。
すぐさま、テレビをつけて、現状確認です。

電気が長時間使えないことで、一番困ったのは、
冷蔵庫の冷凍食品です。
解けちゃって使い物にならなくなってしまうからです。今回は無事でしたが・・

それと、ウチはオール電化なので、
風呂も調理も、暖房も、まったく使えなくなります。
お湯も沸かせない・・・

まぁ、風呂と調理は、水が使えなくなれば電気が通ってもダメだけどね。
幸いにも、LPガスは持っていたので、今回はそれでお湯を沸かしました。


パソコンもネットにつながらない。
(お父さんは秘密兵器があるから大丈夫だったけど)

もちろん、テレビも見られないし、
予約しておいた番組も録画出来ない・・・
もっとも、震災特番で、全てのドラマや番組は休止になったけどね。


ちょっとビックリしたのは、電気を使っている電話機が、
通話機能だけは保たれていたということ。

停電でも電話は使える。
停電の中で電話が鳴った時はちょっと驚いた・・・
ただし、留守電機能などは使えないけど・・


いかに生活が電気に依存していたかということを、改めて痛感した。


今回の大震災で、
福島原発をはじめとした発電所の稼動停止により、
電力不足という危機に直面しています。

計画停電と言って、
関東地方を地区分けして順番に強制的に停電させるという荒技に出た。
これもいたしかたないか・・・

ただね、その第一回目の計画停電実施が、まる子が住んでいるこの地区だったんだよ。
被害が大きいにもかかわらずね。
夕方から2時間程度、電気が止まっていたかな・・・

翌日、茨城県知事が抗議して、茨城県は計画停電の対象外になったけど・・・

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日本の電気事情は転換期を迎えることになると思います。
まる子がこれを読む頃、例えば10年後、
日本の電気事情はどうなっている?

電気のなかった昔の文化を取入れるのか?
全く新しい進化を遂げるのか?

不安でもあり、楽しみでもあり・・・

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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月29日 11:46 |

2011年03月30日

断水は困った・・

まる子へ・・


電気は震災の翌日に復旧したけれど、
断水は17日間続いたよ。

市内のいたるところで、上下水道が破壊されて、復旧に時間がかかりました。
電気もそうだけど、水が無い生活もまた困る。

ウチには井戸もあるんだけど、今回の地震で出なくなってしまった。
井戸水が枯れたのか、くみ上げるパイプが壊れたのか、
理由はわからないけど、これは痛かったな・・・

水がないと、まず飲み水に困ります。
洗濯も出来ないし、風呂にも入れない。
食器も洗えないし、トイレも流せない。


市内に4カ所給水所が出来ましたが、そこから毎日20リットルもらって来ました。
そのほとんどをトイレ用に使い、あとは簡単な洗いもの。
食器は紙製のモノを使ってました。

幸いにも、ペットボトルの水が多くあったのと、親戚から送ってもらったもので、
飲料用としては困らなかった。

洗濯はまとめて、叔父さんのところでやらせてもらい、
風呂は友人やおじいちゃんのところ、親戚のところを2~3日に一度借りていました。

まる子、あなたはそれが楽しくて楽しくて、

「今日は誰のところへ行くの?」

ってウキウキだったね。

一度は市内の健康センターの浴場へ。
温泉みたいと、喜んでいました。

たまにはいいけど、2週間を越えてくると、やはり借りるのは気が引ける。


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今日は、地震発生から20日だけど、まだまだ水圧が弱い。
被災地や避難所では、不便な生活がまだまだ続く・・・
それを考えると水が使えることがとてもありがたい。

今まで、相当に無駄に流していたことに気づきます。
やっぱり水は大切だよね・・・まる子。


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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月30日 10:24 |

2011年03月31日

サヨナラ保育園・・

実は、本日で、保育園を退園いたします。
この四月から地元の幼稚園に入園するためです。

まる子は、1才半から約三年半お世話になりました。
家庭の事情とはいえ、最初は、
こんなに早く預けるのは可哀想だと思いました。
まだ言葉もしっかりしていなくて、自己主張も出来ず、
泣いている姿を見ると、さすがにこちらも哀しくなりました。

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登園最初の日、園庭に入って保育園を見渡す、まる子

でも、だんだん、送って行っても、振り向きもせずに
教室に入って行く後姿を見て、安心しながらも、
それはそれで寂しいものでした。

おしゃべりも出来るようになり、
友だちとも仲良く遊ぶようになり、
日に日に笑顔が多くなって来て、
お遊戯したり、運動会に盆踊り大会と、
嬉しそうに行事を行う姿がいい想い出です。

一番は・・・
やっぱり震災の日のことですかね。

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2才の時の夏祭り


本人はこの保育園時代のことを忘れてしまうでしょうけど、
このブログで記録したことを大きくなってから読み返してくれればなと思います。

先生方には感謝です。

さて、最後の一日、どんな風に過ごすのかな・・・

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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月31日 05:14 |

サヨナラ保育園・・2

サヨナラ保育園2

ついに3年半の慣れ親しんだ保育園に別れを告げる時が来ました。
同じ年齢の園児は17人、
仲の善し悪しは当然あるにしても、お別れはやはり寂しいでしょう。

「あと◯日? 寂しいな・・」

と、この一ヶ月、カウントダウンしていたまる子。
途中、東日本大震災で、一週間ほど休みを余儀なくされましたが・・

でも、その寂しさ半分、次の幼稚園のワクワクが半分。
これを一つのステップにして、一歩成長してくれることを願っています。

最後は、
明るくバイバイ・・さすが、まる子!!

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投稿者: ラファエル 日時: 2011年03月31日 18:09 |

Copyright (C)実録、ウチの子は俺そっくり!?.